●近所のわんこ。
小学校時代、帰り道に三色ぶちの雑種みたいな犬がいた。
なぜか妙に印象に残っているのは、とても綺麗で大きな家に似つかわしくない雑種の犬だったからかもしれない。いつも腹ぺこな犬で、学校帰りの小学生に、コッペパンをもらうのを楽しみにしていた。たまにラインパンとかの時は黄色いクリームの部分為しでも喜んで食べていた。
ある時ちっちゃな男の子が、どうやって持ち出したのかはわからないけれど、パンと一緒に牛乳もあげていた。喉が渇くだろうと思ったのだろう、犬も嬉しそうにゴクゴクと飲んでいた。
比較的庭が広い家だったけれど、小屋の前が網のシャッターになっていてみんながいつも構っていた。いじめているヤツもおったけれど、大概は何か「誰かの犬」という感覚ではなく、「みんなの犬」という感覚だったんだろう。
犬を毎日見ていた小学校時代から時は過ぎて中学生になった。あいにくいつもの登校路が変わってしまったので犬を見ることもなくなったけれど、たまにみかけて何となく手を伸ばしては撫でていた。老いては来たけれど変わらぬ姿がそこにはあった。
ある時、その辻を通りかかったらやけに静かだということにきづいて、足りない要素を探してみた。小屋がない、子どもがいない、それ以前に犬は亡くなってしまったのか、跡形もなく片づけられていた。
死ねば何もなくなるんだ。跡形もなく。
そう思うと悲しくもあり、清々しくもあった。『現実はドロドロだ』とヒトは言うけれど、それは嘘だ。現実は限りなくドライで、限りなくシュールだ。さほどそんなことは大事だとは意識していないけれど。
そして、理不尽ながらも「なんで俺に教えてくれなかったんだ」と思った。自分の家の犬でもないのに、そう思った。
うちは生き物は飼わない主義の家だから、どこか子供心に犬が欲しいなぁと感じて、心の中で自分の犬にしたのかもしれない。誰もいなくなった庭になんとなく手を伸ばしてみた。何も見えなかったけど、何かをなでた気がした。
同じ道を、たくさんの小学生が行き来する。
そこに犬が居たことは、誰も知るよしもない。
けれどそこはいつもその犬が、小学生を見守っている気がする。
今年はマラソン大会も、家の前で開かれたな。よかったな、クロ。
コメント
ペット、可愛いし飼いたいけど、、;;
それだけみんなに可愛がられてたわんこならご主人悲しかったでしょうね。でも、そんなにたくさんの人に愛されて、死んじゃってもKCさんのよぅにまだ想いつづけてくれる人がいるってことはとっても幸せなわんこですよね。^^。
Posted by: ひろみ | 2005年02月20日 02:26
>ひろみさん
コメントありがとう♪
ペット飼いたいね、犬か猫がいいなぁ。猫アレルギーだけどね。笑
なんとなく近所の犬って、自分が飼っていないこともあってかよう覚えてますよー。なんででしょうね^^;
Posted by: kc | 2005年02月20日 02:53
死って、すごく重いもののようであっけなかったりもする。
ただ、それを”意識”するかの違いなのかな。
小学生の頃、とっても大事に育てていたひよこがいてね。
ある日学校から帰ったら、お母さんが「ぴぃちゃん、庭に放してたらネコに・・」って。
部屋にしてた段ボール箱を見たら、居るはずのぴぃちゃんはもう居なくて。ぴぃちゃんの体から流れたであろう血だけ。ただただ、心の中がぼんやりして、ただただ涙がでてきて。
そこに会って当たり前だったものがなくなった時、人はその大切さを実感して、死というものを強く意識するね。
ブログをよんでそんな遠い日の話を思い出して、また涙でてきたよぅ。
Posted by: yuko | 2005年02月22日 03:22
YUKOさん。
わかります。。同じような経験が。そして名前もぴぃちゃん。
中学生の時に小鳥を飼っていて、お部屋でいつものように指に乗せて遊んでたんです。そしたら急に横の部屋に飛んでいって、そのときたまたま横のお部屋の窓が空いていたので外に飛んでいっちゃった。。。ぴーちゃん。。。
そんなに高く飛べないからその後どんな目にあったのか;。;
生き延びられるわけないですよね。
自分の不注意のせいなのでホントに申し訳なかったです。。
生き物を飼うのって命を預かるんだから責任重大ですね。
Posted by: ひろみ | 2005年02月22日 23:06
>To both of you...
あれま、二人とも似たようなお話なんですねぇ。
子どもの頃はなにか畏敬を持って、生き物と接していたよな
気がしますね★
たまに道ばたで飼われている犬を見ると、
家でカワイイカワイイされている犬とどこが違うんだろう、
何がそんな風にさせたんだろと考えてしまいます。
出自ってのは、なんなんでしょうね、笑
Posted by: kc | 2005年02月23日 07:37